祖父から授かったパチンコに対するデジタル的思考、さらにホールに対するアナログ的な攻略によって、高校2年生の頃になるとパチンコ&パチスロの収支はプラスになっていきました。
しかしながら高校2年にもなると、親と一緒にホールに行く事もさすがに恥ずかしくなり、さらにバイクの免許を取った事で、「走り屋」という珍走団的な事に覚めてしまい、ホールから少し足が遠のく事に。
ところが高3になった夏。走り屋仲間からの「新規オープンしたホールがめちゃくそ出しているぞ」という情報をキッカケに、再び足を運ぶように。
ちなみにそのホールは日暮里駅にあった「パーラー自由席」。今はBBステーション日暮里店がある場所でした。
このホールがオープンから1週間ほど経っているにもかかわらず、素人目に見てもお祭り状態で、特にパチスロコーナーは適当に座っても勝てるんじゃないか?と思えるような光景でした。