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しのけんイズム#0

2020.03.01

パチクラウド読者の皆様はじめまして、しのけんです。
今回から「しのけんイズム」なるコラムを不定期で更新していきますので宜しくお願い致します。
 
かれこれパチスロ生活者歴29年、パチスロライター的な事をしだして26年という事もあり、
「名前くらいは聞いた事がある」
「ガチ系ライターの人でしょ」
「しんのすけと名前が似てる人ね」
…等々、多少は知ってくれている方もいるとは思いたいですが、今回は連載スタートという事もあり、自身の生い立ちを含めた、パチンコ・パチスロとの今までの関わりを数回に渡ってちょいと振り返ってみたいなと思います。
 
しのけんという人間のバックボーンを把握してくれた上だと今後、自分自身がコラムを書きやすく、そして読者の方も「こいつホントしょーもないほどパチスロ(パチンコ)バカなんだ」と理解出来て、読みやすいものになると思われますので、しばしお付き合いくださいませ。
 
そもそも自分がパチンコホールと初めて関わる事になったのは幼稚園の頃。その頃からお正月には必ずホールに連れていかれ、家族総出でパチンコを弾いておりまして。
 
と言うのも、祖父がパチンコの原型とも言われ、パチスロが設置されるようになる以前にはホールにも設置されていた、「スマートボール」の業者に勤めていた事から、その営業の一環もあってかホールに連れて行かれていたのですよね。
 
そのホールも明確に覚えていて、中野駅にある「国際センター」。
当時も同じ屋号かは分からないですが、場所は確実にそこ。なぜなら中野にスマートボールの業者があって、その寮に祖父が住んでいたから。
で、その寮からホールには徒歩で向かえる距離。ホールの上には今も変わらずある「喫茶室ルノアール」。それらを総合すると間違いなくその場所なのです。
 
で、ここら辺の記憶が少し曖昧なのですが、幼稚園~小学4年生くらいの間に、ハネモノもしくは一般機と思われるボクシングモチーフのパチンコを打ち止めて、そのルノアールで家族にコーヒーを奢った記憶があるのです。
 
打ち止めが近くなった時に、家族、そして店員さんも後ろで応援してくれた事、さらに打ち止めて得たお金で奢ったコーヒーを美味しそうに飲んでくれた風景と共に、「パチンコを打ち止めた事を皆がとても喜んでくれた」という記憶が未だにずっと残っていて、その記憶が、今の生活に繋がる「勝ちたいと思い続ける原動力」にも繋がっているように思っています。
 
そんな感じで、祖父キッカケでパチンコを覚えたのではありますが、中学生の頃にもなると正月など関係なく父親と一緒に普通に打ちに行くようになっておりまして。
 
で、最初はレッドライオン等ハネモノがメインだったのですが、気づけばいつも一発台のスーパーコンビ。
当時ちょうど父親が、勤めていた会社を喧嘩して退社。無職状態で毎日のようにパチンコ、その息子も学校が終わったら父親が打っているホールに足を運ぶという、今だったら大問題に発展しかねない家庭環境に陥りまして…。
 
金銭面は母親がスナックに勤め出した事で最低限死守されていたのですが、それこそ勝てる理論もない状態での一発台。
むしろ父親は、「そろそろ当たる時間だ」「下皿に玉を詰めると台が傾いて当たりやすくなる」等、独自のオカルト理論を息子に語っては散財する毎日でした。
 
もちろんお金が持つ訳もなく、母親からお金をせびれなくなるとパチンコは自粛…。
そのようなパチンコとの関わりは自分が高校生になっても続いていたのですが、高2になる頃の正月、毎年恒例の祖父とのパチンコによって衝撃的に変わっていったのです。
 
忘れもしません。
その日は祖父と父親に挟まれて、機種名も分からないデジパチを並んで打っていたのですが、自分の台にリーチが掛かった瞬間、「健二! それ当たるぞ!」と祖父が予言したのです。
「え? なんで?」と思った 瞬間、実際にその台は大当たり。大当たりを予告して実際に当たった衝撃と共に、「なんで? なんで分かったの?」と問うと、祖父は「この台はな、0のリーチが掛かると絶対に当たるんだよ」と…。
 
自分の左隣で祖父がそのような事を教えてくれている右隣で、今度は父親が台をドツいてリーチをハズしています。
この瞬間、自分の心の中で、「あれ? パチンコには当たる理由と根拠ってのがあるのではないか…」と、漠然ながら思ったのです。
 
ちなみにこのデジパチは「マーブルX」。
今で言えば「大当たり乱数を拾った時にしか0のリーチは選ばれない」というようなシンプルな理論でハイ納得!なのですが(実際のマーブルXの仕組みは少し異なるけれど)、残念ながら父親のオカルト論に洗脳されていた自分がそこに辿り着くには、少し無駄な時間を要してしまっていたのです。
 
きっと祖父はスマートボール業者だった事もあってか、パチンコの台の仕組みやらゲーム性やらを、自分ら親子よりしっかりと把握していたのでしょう。
 
この祖父の大当たり予告は自分にとって大きな衝撃と改革でした。
当時ゲームが好きだった事もあり、「ゲームがプログラムで作られているように、パチンコもそのようなプログラムを元に動いている」というような事を、祖父のあの出来事がキッカケで考えるようになったのです。
そして、そのような少しデジタル的な思考が芽生えた事もあり、アナログ的力技(笑)とオカルト的思考で負け続けていた父親と反対の事をするようにも。
 
例えば、「無制限札が刺さっているのに、お金を使ったほうが当たりやすいと玉を流して現金投資」していた父親に対し、「借りる時よりお金に替える時のほうが多くの玉を要するのだから、無制限になったら極力持ち球で打ったほうが良いのでは」等。
 
まぁ今となっては当たり前の理論なのですが、当時はそのような理論に辿り着くような情報ルートが圧倒的に少ない時代ゆえ、かなり遠回りして独自に学んでいったのです。
 
更に、そのような理論の背中を後押ししてくれたのが、本屋で出会った「パチンコ必勝ガイド」。ここには全てのパチンコに対するアンサーが書かれていました。
そして、自身がライター、というか誌上プロという存在に興味を持つキッカケとなった「田山プロ」の連載も…。
 
祖父の一言が、パチンコの真意に辿り着くための道筋を照らし、父親の行動が反面教師となってその道を整え、パチンコ必勝ガイドがその道のゴールを明確なものにしてくれた感じですね。
 
こうやって考えると、自分がこの業界に関わる事になる流れは幼少の頃から決まっていたようにすら感じますが…ほら、自分はパチスロ側の人間。
 
そんな訳で次回は、パチスロに触れるようになるまでと、パチスロ生活を始めるようになるまでの流れを振り返ってみたいと思います。

この記事を書いたライター

しのけん

誌上プロの第一人者。パチスロ攻略マガジン等で活躍中!