![]()
風営法、もしくは風適法で2016年までは7号営業に分類されていたパチンコ・パチスロ業界。そこに出入りするようになってそろそろ30年になろうかというフリーライターの筆者が、これまでに出会った人たちにまつわる思い出を語る。世話になった人、ヤバイ人、ムカつく人など、個人的な好き嫌いも含めた極私的回顧録――
筆者はあくまでフリーのライターであって、決してパチンコ・パチスロライターではないと自負しています。
料理とかサブカルとかエロとか色々な仕事をしていて、特にエロ関係は仕事というだけではない面白さがあったりします。
そもそもライターを志したのは、エロ本にある1色(白黒)ページが好きだったというのが理由のひとつ。
グラビアをしっかり興奮できるように作れば、後はなにをやっても良いというフリーダムな雰囲気が大好きで、そこから文化人にまでなったような有名な人もたくさん輩出していました。
残念ながら筆者は有名人にはなれませんでしたが、それでも楽しい仕事をたくさんできたのはありがたく。
ただ、エロとかサブカルは紙媒体がどんどんと減ってしまい、仕事をしたくてもできないのが現実。
そんな出版不況でもなんとか踏ん張っているのが、パチンコ・パチスロ関連。30年くらい、なんとか飯を食べられているのにはただただ感謝であります。
その仕事ではホール取材(という体裁のイベントではなく→これ大事)だけではなく、メーカー取材など、筆者としても何十年も続けていますが、仕事を始めた頃はほとんどのメーカーに広報なんていう部署はありませんでした。
対応してくれるのは、きっと上司から押し付けられたであろう営業マンだったりして、試打機を用意したから適当にやってというスタンス。
それはそれで好きにできるから良いのですが、4号機の初期くらいからメーカーの規模がだんだん大きくなるにともなって、専従的な広報さんが増えてきました。
そんな、いわば広報黎明期で記憶に残っているのが、当時の中堅メーカーだったT社の販売を担当していたS社の広報であるYさん。

